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横浜家庭裁判所 昭和37年(少)1175号 決定 1963年2月01日

少年 T(昭一八・二・八生)

主文

少年を東京保護観察所の保護観察に付する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は、

一、自動車運転助手として○○ブロック株式会社に雇われていた関係上、平素自動車運転免許を取得しようとして、時々自動車を運転していたところ、法令に定める運転の資格を持たないで、昭和三七年一月一八日午前五時三〇分頃右会社所有の大型貨物自動車(群一す五一八五号)を横浜市西区△△方面から同市保土ケ谷区○○町方面に向け時速約六〇粁の速度で自動車を運転中、進路前方道路の中央部道路工事のため、通行禁止となつていた同区○○町一丁目三番地先道路に差し掛つたがおよそ自動車運転者としては前方に注意し、当該道路の状況に応じた通行区分を遵守し安全な速度と方法をもつて通行し、もつて危害の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに拘らず、前方注視を怠たり、左側通行すべき道路であるのに速度を約五〇粁に減じたのみで漫然とハンドルを右に切つて右側通行したので、折柄対向して来た年乳配達人○田○雄(当時一二年)の乗用する足踏二輪自転車(戸部〇六七五八号)を約一〇米の近距離になり発見し、狼狽して急制動の措置を講じたが及ばず、前部バンバー、同ラジエターシエルの部分を右○田の乗用する自転車に接触させて、その場に横転させ、よつて同人に対し頭部挫創等の安静加療三ヵ月を要する傷害を負わせ、

二、前記のような交通事故を起したのに拘らず、直ちに前記○田の救護をなし、且つ事故の内容等を警察官に申告しその指示を受ける等法令に定める必要な措置を講じなかつた。

三、H(当時二二年)、S(当時三〇年)と共謀の上、前記○田の傷害の部位程度等からこれを放置すれば、同人が死亡し、殺害する結果になるかも知れないことを認識しながら、敢てこれを保護しないでそのまま遺棄しようと企て、同日午前五時四〇分頃、重傷状態であつた○田をHの運転する前記貨物自動車に同乗させて、その場から約二〇粁走行して同日午前六時頃、大和市○○××番地附近道路端に放置したけれども、○田が附近の民家に救いを求めたため結局死亡するに至らず、殺人未遂に終つた

ものである。

(法令の適用)

一の事実につき 道路交通法第六四条、第一一八条第一項第一号、刑法第二一一条前段

二の事実につき 道路交通法第七二条第一項前段、後段、第一一七条、第一一九条第一項第一〇号

三の事実につき 刑法第二〇三条、第一九九条

主文につき   少年法第二四条第一項第一号、少年審判規則第三七条第一項

(主な問題点)

一、少年は魯鈍級精神薄弱(I・Q63)にして精神発達遅滞し人格未成熟であり、行動は即行的、粗野で被影響性が強い。

二、少年は小学校五年頃から中学校初年まで窃盗の非行があつたが、警官に説諭されその後は窃盗等の非行を累ねなかつた。昭和三三年学業成績は下位であるが中学校を卒業し、勤労意欲もあり真面目に家庭経済の中心となり鋳物工見習、土工、自動車運転助手等をしていた。

本件非行は少年が他の成人の運転手に誘われて自動車を運転して交通事故を起し、その直後の非行はすべてその運転手の指示に従つてこれに応じ相当従属的立場において生じたものであるが、同三七年三月一四日個人補導委託の試験観察に付され工員として住込み就労していたが、同年一二月初旬頃両親が本籍地から上京して父は建材会社の浄化水槽工事の監督者をしており、少年も父とともに同居して真面目にその工事の仕事をしている。

なお、少年は前記知能、性格上の点から自動車運転手となる適性がないと認められる。

三、家庭にはとくに問題はない。

(裁判官 田中寿夫)

参考一

少年Tに関する試験観察経過報告

一、昭和三七年三月一二日

試験観察決定、併せて東京都江戸川区東小松川五-一〇五八富士工業株式会社社長貞方荘太郎に補導を委託

(メッキ工場、従業員約三〇人の小企業、しかし経営内容は大体において堅実)

少年の状態、前借りが月に二~三千円づつあつたが全体としては、勤務にもよく励み良好といえた。ただ、日曜日や、普段の終業以後などに勝手に外出し、或いは帰郷するなどの行動が目立つた。

以後、同年一二月まで、月に二~三回少年の稼働先に赴き少年及び貞方氏と面接、観察を継続する。

二、昭和三七年一二月七日

父及び母、群馬県の実家をはなれ、東京に出て浄化槽建設の仕事に就く(住所、東京都世田ケ谷区○○町××○口○郎事務所内、職人一五人の責任者の置位に父はいた)

そして、なるべく少年もそこに呼びたいと希望する。

(この時、父はこの事件の為の借金六万円余をまだ残していた)

月収が上るという実利(食事付で日給九〇〇円位)もあり、父母の直接の保護下に入るという利点もあるので、これまでの委託先である貞方荘太郎氏の了承を得た上で、少年を父母の許に戻す。

以後、少年は真面目な仕事振り、且つ夜遊び怠業なし。

三、昭和三八年二月一日

相当長期間にわたつて試験観察の成績が良好。事件に対する反省態度がみられる。(今後は自分に適性のない自動車運転はしないと約束する)将来への生業の見通しがある程度得られる。保護者である父母の少年に対する監督が以前よりも一層よくなされている。少年自身成人に近づき自覚を持ちはじめている、等の結果を得たので所定の成果は充分あがつたものと判断し、保護観察へ移行すべきという意見を提出。

参考二 経過一覧〈省略〉

参考三 少年調査票〈省略〉

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